武之行道場 和結庵のホームページへようこそ!!

 

当サイトは、防盾術 和結道(ぼうじゅんじゅつ わをむすどう)の修行を通じて、武之行に取り組む和結庵の情報や活動を紹介するホームページです。

どうぞ何卒宜しくお願い申し上げます。

心の力を極めて、自身の生きる力を高め、同時に他者を活かす力も共に深めてみませんか?


 

和結庵での武之行の修行を通じて、相互に自身に内在する能力の「高み」と「深み」を求めて練磨し、自利利他の高邁な生き方を実践出来る様に、道場生と共に日々研鑽に励んでおります。

ご縁のある方々と、和結庵にてお会い出来る事を楽しみに、お待ち申し上げております。

 

令和生まれの新武芸 和結道の修行を通じて、防盾術(ぼうじゅんじゅつ)を極めて「制する」から「整する」へ

当団体で教授する防盾術 和結道について説明させて頂きます。

 

この令和生まれの新武芸は、「武」を自身の心を練磨する行の素材とし、技術の修練を通じて、心と身体の状態を確認していきます。

その行いは武を通じて自身の心を表現する身体芸術の一種と言えるかも知れません。

 

ただそれ以外にも様々な視点から和結道を紐解く事が可能であると思います。

例えば護身術、健康法、福祉現場(高齢、障害)などでの介助技術、教養や文化としての武術の探求、余暇としての運動の一環として、また自己啓発や運勢改善などでも学びを求められる方もおられるでしょう。

 

ここではとりわけ護身術としての側面から、和結道の技術的な特徴をお伝えさせて頂きたいと思います。

 

護身において、一番大切な事は何でしょうか。

襲ってきた相手を一撃で倒す様な強大な攻撃技でしょうか?

それとも相手の力を受け流し、その力に乗じて投げ飛ばしたり、関節を逆に取る受け技でしょうか?

私はその何れもが、弱者が強者の理不尽な暴力の前に使いこなす事は困難ではないか?と考えております。

またそれらの技術の習得には様々な困難が生ずると思います。

護身は優劣を明確にしなければならない格闘競技とは異なり、勝つ必要性は無く、引き分けの状態に持ち込めれば良いのですから、徒に過剰な攻撃技術ばかりをストックしても、法治国家である日本では使用出来る条件もかなり厳しいと思われます。

 

では当団体及び私はどう考えているのか?と言いますと、「なぁんだ。そんな事か。」と思われるかも知れませんが、一言で言えば「危険に遭遇しない様にする」つまり「君子危うきに近寄らず」を心掛けて実践する事であると思います。

 

そしてそれを実現する為にも、「危機を感知し、身体が即応出来る」状態を創り維持して行く事こそが肝要であると思います。

先ずは「正しい姿勢」で静的な力(体軸による連動力)を養い、「正しい歩法」で動的な力(重心移動の力)を培います。

そしてその為に各種鍛錬法や型を通じて、心と身体が整った時に発揮出来る集中力(当流儀では隋心力と呼称しています)を段階的に易から難へと深めて行く様に体系を整理しております。

ここを弱者と強者の力の差を埋める為の土台を創る段階とします。

 

その上で、護身戦略として、先制攻撃でも無く後手防御でもない、「先制防御」の具体的技術を学んでいきます。

弱者が先制攻撃を仕掛けても、外せばリスクは倍加しますし、防御に徹したとしても強者の攻撃力の前に、後手に回ればいずれ餌食になってしまいます。

 

弱者にとってまず大切な事は、余計な事は一切考えず強者の攻撃力を無力化する事にあると、私は考えております。

上記の説明は、日本の伝統的な武術の「体」と「用」の思想に相通じていると思います。

様々な攻撃の想定に対して、先制防御の応用を学び深めて行く事で、「何とかなるのではないか」と言う自己効力感が芽生えればしめた物です。

そうなれば自信がやがて余裕に繋がっていくと思います。

その様な状態に自身が至れば、自ずとその場の状況も良く見える様になりますし(所謂「観の眼」な感覚や視点)、更に先に進めば、先んじてその場の雰囲気を攻撃的な殺伐とした物から調和のとれた物へと変換し、未然に争いを防ぐ事も可能であると思います。

それこそが日本の伝統的な武術の目指した、本来の護身の在り方ではないかと考えております。

 

またそう言った場を整する能力は、平素の生活において、職場や家庭などの人間関係においても応用する事が可能であり、「武」の平和利用と言う意味においては、そちらの方が価値があるのではないかと思っております。

 

まさに和結道は先制防御を極めて「制する」から「整する」事を目指し具体的に技術を学んでいく物であると思います。

 

ご挨拶

 この度は、武之行道場 和結庵の活動に関心をお持ち頂きまして、誠に有り難うございます。

 

私、主宰の吉田護泰と申します。

 

コロナ禍や世界で相次ぐ戦乱等に代表される混迷の時代にあって、如何に生を全うするべきか?

 

その意味を探っていくツールとして、これまで学び嗜んできた各種武術の視点や発想及び術理、それに神道に代表される日本古来の自然観に基づいた教え等、心身についての叡知にそれを求め、この度、縁あって武之行を提唱し、その実践手段として令和生まれの武芸 和結道を創始致しました。

 

そして志のある方とのご縁を頂ける場をと考え、この度ホームページを開設致しました。

 

活動の様子などは、随時写真なども掲載して行きたいと考えております。

もし宜しければ、ご高覧頂けましたら幸いに存じます。

 

この石碑は2021年2月の国家試験の後、訪れた柳生の里で、かつて祀られていた摩利支天様を紹介する石碑と、縁あって巡り逢った際に撮らせて頂いた物です。

 

その後、不思議な武縁を頂きました(一番上の写真はその時に撮影した有名な一刀石です)。

団体と流儀の名称の由来

 

 

当団体及び流儀の名称にある「和結」と言う言葉の由来について、少しお話し致します。

 

日本人及び日本文化の精神の根幹にある考え方を表す言葉として、聖徳太子のかの有名な「和を以て貴しとなす」と言う言葉があると思います。

 

また別の視点から見ると、神道にある「結び(むすび)」と言う概念も挙げられるかと思います。

 

「和」も「結」もその語の持つイメージから、分かり易く言い換えると「お互い様」と置き換えられるのではないか?と考えております。

 

日本人のお互い様の精神の表す「和」と「結」の語と、合気道開祖である植芝盛平翁の仰られた「武産合気(たけむすあいき)」の「武産(たけむす)」の響きから、「和を産す」から「和を結す」とし、「わをむす」と呼称する事と致しました。

 

当会は上記の経緯より、自身と同様に他者も尊び大切にする自他の心を持った各個人が、その和と和を結んで良縁を成し、互いに成長出来る場にしたいとの想いから、団体名を武之行道場 和結庵と命名致しました。

 

また流儀名については、和の心を持った個人が合い(和合)、縁が結び合い(結合)、和を結す事により道理に至り場(状況)を整える(整合)の三合道理の武芸として和結道と命名致しました。

 

 

新着情報

 

 【令和6年 6月度 稽古会日程】

 

1回稽古会 6月7日(土)

 

2回稽古会 6月22日(土)

 

時間及び会場については、会員へ改めてご連絡させて頂きます。

 

 

今後は、こちらのスペースにて春季及び秋季の昇級昇段審査や、允可状及び目録や認定証の発行についての情報を随時アップさせて頂きます。

 

会員及び見学者の方へ

 

1)稽古会場(道場)へお越しの際には、出発前に事前に検温の上、マスク着用にてご来場下さります様、ご協力をお願い申し上げます。

 

2)もし37.5度以上の熱がございましたら、来場は見合わせ、医療機関への受診など然るべき対応をお取り下さります様、重ねてお願い申し上げます。

 

3)会場備え付けの消毒液がございますので、ご来場時には手指消毒をお願い致します。

 

お問い合わせ

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